苦手

私は数学と日記が苦手だった。

 数学はやろうと思えばできる、自分はやっていないだけだとずっと自分に言い聞かせていたのだが、その内そういうやる気も曖昧になったという感じだ。色々と本を読むうちにいま改めて興味を持ち始めており、新品同然の中学数学の本を取り出したりしているのだけれども、とにかく中高に在籍していた頃は数学を触れることが苦痛だった。

 一番に思い出せる事として、中学数学の証明が最も苦痛だった。

 今となってはその重要も必要も理解しているのだけれども、恐らく当時は、いってしまえば証明が作業的に感じられ、「私」が 「これ」 を 「書く」という事態に対して途轍もない億劫さを覚えていたのだと思う。

 なんて話だ。

 

日記は挑戦して挫折し放置する、という一連の動作を繰り返している。もはや日記の挫折が、日記をつける行為と為りそうなくらいに。

完成させた文を、日が変わる23:59分までに記入しなければならないという義務感と強迫観念を抱いてしまう。どうも書いてるときに、数学の証明問題の回答を書いてるみたいだと感じてしまうのだろう。自分が自分に見せる表現としてなんかどうでもいいなと思ってしまう。

「私がどうしようもないのは、私が日記にどういう《価値》があるのか決定できないのは、日記の文学的存在規定が私の指からこぼれ落ちるからである。」ロラン・バルト『テクストの出口』

……また、時間がある日に挑戦してみようかな。